けれどそんな面倒さを愛してもいるのだ

くやしい、と胸の底でぐるぐるとぐろ巻くことがよく考えれば私は幼い時からよくあった。

記憶の中で最も古いのは5つ下の弟は甘やかされ私は「お姉ちゃんなんだから」と怒られることが多かったこと。おままごとやごっこ遊びで自分の希望の役になれなかったこと、コツがつかめずぐちゃぐちゃになった硬筆の書き初めで金賞もらってた子がお手本みたいに綺麗だったこと。

 

中学生までは絵も描くことが好きだったから親や周りの友達に馬鹿にされるのも嫌いだったし、高校生~去年ぐらいまでは特にひどかった。自分じゃ手に入らない物や環境に対する妬み嫉みで生きてきたと言っても過言ではないくらい。他の人より妬み嫉み悔しさを感じやすく、またそれをガソリンに生きてきたと思う。

嫉妬の過渡期(?)を過ぎて、自分より意識の高い人たちの中で揉まれて強くなりたいと思ってゼミに入った今でも、毎日のように周りの人と比べてできないことを見ては「あの人はできてるのに…!」と歯をギリギリして焦る。できる限り全速力でみんなという目の前の人参を追いかけて走る。

 


そんな感じで、私の性格はいいように言うと負けず嫌い。上を見てまだまだだと歯を食いしばって努力するほうが好き。はっきりと言えばあれもこれも欲張りでわがまま。悔しさをよく見てみれば自分の理不尽だったりわがままの集合体だったりすることが多いんじゃないかな。


表現することは私は好きだけどどれも下手なおかつ中途半端で褒められるものじゃないのでダメです。だけど苦手なところ・できないところに目を向けるともっと止まらない(前の記事でも話したけど)。話す能力が足りない、空気を読むのも下手くそ。探究心持って質問するのも苦手。論理的じゃない。流されまくるし即行動ができない。ぽんぽん”ほしい能力リスト”に突っ込んでいって、上を見れば見るほど上から降りかかってくるものばかりで息が苦しくなる。

 

 

あれ、私何者になりたいんだ?

 

電車の中で本当についさっきふと思ったので笑ってしまうけど、この課題を全部完璧にこなすことのできる欠点無しの完璧人間みたいに私はなれるのか?ていうか、なりたいかな?

自分はなれるなれない度外視してどうしたいかちょっと考えてみたけど、ほんとは、あんまりなりたくない、かも。自分の大切にしたいものが見つからないから、みんなのキラキラがよく見えちゃってたの、かもしれない。

そう思ってから思い出したのは、同じゼミで明るく素直でいい子で、ミスコンに出るくらい才色兼備の女の子が「周りのみんながすごくて不安で仕方がない」と帰り道泣いている姿だった。こんなに完璧の子でも悩むのか、と衝撃的だったのを覚えてる。みんながみんな、自分の持ち物に満足できていない人がほとんどなんだ。その現実を変えることが難しいのなら私は、自分の器の形のいびつさを変えようとしないでまるっとに大切にできるようになりたいんだ。

 


なんだ、いびつな人間はむりやり綺麗な五角形にになろうとしなくていいのか。